しが女性中央会の会合で、初めて愛荘町の『竹平楼』へ行った。
明治11年、明治天皇が民情視察のためご巡幸され、お立ち寄りにな
るというので、急いで離れを造った苦労話を女将さんから聞く。
同行は岩倉具視、大倉重信、井上馨、山岡鉄舟。
銀行の無い時代、工費は田畑を売っても足りず借金までしたそうだ。
一時間半の滞在に、SPの隠れる小部屋も造られた。万全の準備をし
たのに、お茶は持参、トイレも持参のオマルを使われたらしい。
過去に床上浸水したときもあったと襖を指して解説は続く。147年
もの間には、いろいろおありだったでしょうと、皆は頷く。
近江刺繍の屏風を、近くにいた方が説明してくださる。この会に参
加するのは、お手本になる諸先輩がいらっしゃるからだ。今まで馴
染みのなかった湖国の中山道界隈の文化も勉強しようと思う。
電気がないので蝋燭が灯された部屋。天井や敷居は丸木を使い、春
慶塗が施されている。その天井に、近年、白いプラスティックの火
災報知器がつけられた。なんて無粋な事だろうと呆れてしまった。
面白いと思ったのは、松竹梅の掛軸だ。たわわに実った梅の枝が伸
び、大きな筍が中央に、ひょろりとした若松が手前に描かれている。
松竹梅は平等で、どれが抜けても成り立たないという意味らしい。
明治の三大書家の額と、渋沢栄一の書もあった。渋沢の書は「頑張
って働きなさい」。左から二文字目の意味のない文字は「遊び字」
らしく、私も含めて知らない人が多かった。
まるで博物館で食事をしている感じだ。庭の深くなってきた緑も美
しい。そして皆、終始、この文化財を守っていく大変さを口にした。
2025.0608