暖かでよく晴れたお正月休みの最終日、鈴鹿市へ向かう。いつも通
る国道一号線ではなく旧街道を通ることにした。昔の東海道である。

道すがら見えた多面体の建物。そこは『鈴鹿馬子唄会館』だった。

入ってみると、館長さんがカセットで唄を流してくれた。ここで私
は亀山・関に次いで48番目の宿場町”坂下”の存在を初めて知った。

箱根と並ぶ難所である鈴鹿峠を越えるには、朝早く関を立ち山を越
す健脚ばかりではないから、麓にも宿が必要だったと説明を受ける。
しかし、もらった文献によると既に室町時代に存在していたようだ。
  
さらに驚いたのは、「日本橋から歩いて何日目」「自転車で京都ま
で行く途中」などと書き込んだ旅のノートが置いてあったことだ。
このような趣味の方が、今も東海道を往来している!?

近松門左衛門の浄瑠璃で有名になった鈴鹿馬子唄の”あいの土山 
雨が降る”の”あい”は、どの漢字が相応しいかと尋ねてみる。
歌い手は、相対する”相”と思っているようだと答えられた。
  

坂下から車で10分ほどの東海道で唯一、国の”重要伝統的建造物群
保存地区”になっている関宿へ行く。電柱が無く、映画のセットみ
たいだ。明日越す、あるいは今日越えてきた鈴鹿峠が見える。

東西1,8km、江戸から明治にかけて建てられた200軒あまりの家々。

私の住む処でさえ神社の近くという理由で、市街地調整区域だ。
ここの人たちは何かと大変だろう。一軒の売り家の荒れた裏庭に
灯籠があった。石の明るさ、変化に富んだ絵柄、彫りの丁寧さ、
バランスの良さ。「欲しいなぁ・・・これ」と何枚か写真を撮った。

「昔からヘンなもんばっかり欲しがる」と、向こうで母の声がする。

2007.0104