『美術品ことに古美術を見てをりますと、これを見てゐる時の自分
だけが、この世の生につながってゐるような思ひがいたします。』

川端康成の文章を冒頭に、安田靫彦との24年に亘る交流を主題とし
た展示会を見る。2人の創作の源泉となった美術品の好みは、とて
も共通していた。


だが一番印象に残ったのは、川端の1968年ノーベル賞受賞時のスト
ックホルムでの基調講演全文だ。

”自分の残すものは何もないが、自分の死後も自然はなお美しい、
これが形見になってくれる”という明恵上人や良寛の句を上げる。

次に、芥川龍之介の”自然の美しいのは、僕の末期の眼に映るから”
を皮切りに、太宰治、一休など自殺者・自殺未遂者を列挙したのち
「仏教は入り易し 魔界入り難し」とつなげている。

”「魔界」なくして「仏界」はありません。そして「魔界」に入る
方がむずかしいのです。心弱くてできることではありません。”

締めくくりは、西洋とは違う心の根本である日本の心。そこから生
まれた文化。四季の美を詠いながら、実は禅に通じたものだという。


途中、辞世の句に思えて唖然とし、読後は名文に酔った。そのせい
で、見てきた数々の美術品の感動が遠くかすんでしまった。

『大雅の絵は、しばしば私の心の鬱屈、閉鎖、沈頓、愁傷を、おほ
らかに解きひろげ、やわらかに慰めなごめてくれた』とあったが、
川端にとって心に触れた美すべてがその対象だったと思う。


朝霧の中から、まず赤い前掛けが、次第に数体のお地蔵さまが現れ
る。常より厳かなこの一瞬に、形見の一つを見る思いがした。


  ■「良寛生誕250年 大和し美し 川端康成と安田靫彦」■
       --------- MIHO MUSEUM ---------

2008.1016