きものの着付け教室の先生である友だちのYさんと、2人してきも
の姿で京都・山総美術の『奏泉寺由子の世界』を見に行く。

バリ島で作られたキルトを中心に、ストール・着物地・帯〆などが
展示されていた。奏泉寺さんご自身も、背中に紺色の三日月模様の
ある白い対丈のきものをお召しだった。

金魚のヒレのようなふわふわの薄いグレーの三尺を締めていらした
ので、朝から帯結びで孤軍奮闘した私には、眼から鱗の思いがした。


それから、『上村松園展』を観るために国立近代美術館まで歩く。

明治から大正時代に描かれた襦袢の襟が、フリルのようになってい
る。当時はあのような着方だったのか、白い頸と半襟の間にチラリ
と見える襦袢の色が構図に必要なためなのか、すごく気になった。

特に娘ふたりを描いた絵は、ごく小さな面積にも関わらず、その襦
袢の襟元の赤が若さを表すなくてはならない差し色になっている。


大正15年作の『待月』は最も好きな絵だ。欄干の手前で、団扇を片
手に月の出る方向に上半身を傾けて立つ後姿。

薄い黒地のきものだと思っていたが、絵に近づくと白地に赤い輪模
様の襦袢が透けて見えた。袖口にほんの少し描かれたその襦袢の柄
は、きもの全体の下絵に施されているのだった。なんてニクイ!

一度、赤い紅葉が浮かぶ黒地の紗を着たけれど、暑過ぎて辟易した
覚えがある。それでも紗袷は長年の憧れだ。

100年前と気候が違ってきているのなら、奏泉寺さんのように季節
の決まりごとから放たれて自由に着ることが、これからのきものか
もしれない。

2010.1212