今年三月にオープンした、二条城近くの路地を入った小さな京料理
店は、食後に、まるで一流の演劇を見たあとのような感動が残った。

江戸中期・後期の清水焼を中心として、伊万里、瀬戸などの食器が、
料理と相乗効果をもたらしていたのだ。


薄く透き通った皮が光る富山で獲れたノドクロの刺身は、軽く炙っ
てあった。四角に切ったコーラルピンクの刺身は鮪だ。

どちらも若干残る脂っこさを、染付の藍と白の涼しげな色合いが消
し去る。

二度目の蒔絵の椀は、座の四人それぞれ絵柄が違っていた。男性ふ
たりは富士山とお城、私のは庭園と茶室、もう一人の女性のは湖面
と浮見堂。豪華で鈍い色の金で描かれた繊細な絵。

木の持つあたりの柔らかさと、軟らかく煮たアワビが、優しい印象
を残す。また、椀の景色まで誘われ、実際見てきた気がしてくる。

蕪・海老芋・京人参・絹さや・麩饅頭・湯葉豆腐など、京都ならで
はの食材が、各地からの肉や魚を歓待している料理の数々。

千利休が茶の湯に用いたとされる『柳の水』をいただいた。やわら
かな水は一口含むたびに舌がクリアになり、薄味を充分味わえる。

ご主人自作のカラスミは、芳醇なチーズのようだった。

数本だと辛くなるそうで、「樽ごと大量に漬けなければ、この味に
ならない」とおっしゃる。それは鮒鮨にもあてはまる話である。


これらの料理をお酒と共にいただきたかったし、人に進呈したズワ
イ蟹や牛肉を、次の機会には食べたいものだ。数日前に生牡蠣にあ
たって体調を崩していたのは、返す返すも残念なことである。

2011.1218