年の暮れに見た掛軸は、通常より幅広で本紙の部分も大きかった。

まず、幾重にも聳える屋根が石であることの珍しさ。残雪の庭にも、
何処となく西洋風の石灯篭が一基。この景色は日本じゃないなと思
いながらサインに眼をやると、『西安』の二文字が読み取れた。

庭園だろうか、繁った木々と川が描かれた水墨画。

その掛軸に障子を通した午後の陽ざしがやわらかく映り、外の木立
の揺れぐあいで、掛軸の中の庭が明るくなったり翳ったりした。


今年の初釜は、大阪・西九条の某茶室であった。小さな表札が掛か
るきりの普通の民家の玄関を一歩入ると、玉砂利に飛び石の地面、
手水鉢と灯篭を設えた待合の庭があった。

茶会席は美味しかった。それにも増して、幾度か勧められる冷酒が
皆をうならせた。徳利の頭に鳥が付いていて、注ぐ度に鳥の鳴き声
のような、か細い音を聴き取ることが愉しかったのかもしれない。

茶室での薄茶を平茶碗でいただいた。冬なのに平茶碗とはの疑問も、
絵柄を見て納得する。濃い緑色の眼を持つ赤絵の龍が、側面いっぱ
いに伸び伸び描かれていたからだ。清後期作と亭主がおっしゃった。

次に、十一代慶入の楽茶碗でいただく。欠けがあるようにみえるが、
それは『ベベラ』という景色だと教えられる。見た目より軽く掌に
こじんまりと落ち着く。楽茶碗の陶器の感触が心地よかった。


一枚の戸を開けると、大通りの車が夕刻を知らせていた。

茶入れに用いた明時代の染付の薬壺、床の間の瓢箪型の黄色の花器
など、今日出逢った中国の道具を反芻しながら帰途につく。西安の
庭に遊んだときから、悠久の歴史を持つ文化に思いを馳せる私だ。

2012.0118