赤と黄の取り合わせは、服装ならば派手で奇抜だろうけど、石畳に
散り積もった紅葉のそれは違和感がないどころか、見惚れるほどだ。

夕べの雨で苔は水分を含み、小径はぬかるみになっている。濡れ重
なった落ち葉のなかの、色鮮やかな幾枚かに目を奪われながら歩く。


いつかの地元情報誌に“病気になった画家が、偶々訪れた『教林坊』
に惹かれ、足繁く通う中に四季を描き、いつの間にか病気を克服し
ていた”という記事があり、どんな処なのかと記憶に残っていた。


本堂まで辿り着く間に、秋を惜しむ風情がある。受付の70歳前後の
上品な女性が、住職の留守を申し訳なさそうにおっしゃった。

江戸時代の書院と本堂、小堀遠州作の石の多い庭園、室町時代末頃
の庭園、苔生した「太子の説法岩」などを、ゆっくりと見て回った。

山が迫るひっそりとした場所だが、頭上に明るく大きな拡がりと、
護られているような安らぎを感じた。


聖徳太子が開基したと伝えられる由緒ある寺院なのに、昭和50年頃
から無人になり廃墟然となっていた荒廃寺院を、平成9年から26歳
の僧侶が復興。平成16年、二十数年ぶりに一般公開されるに至った
記録を読み、意外な背景に驚いた。

『発心即到』=何事も「やろう」という「発心」がなければ到達は
出来ない。それも自分がやろうとしたのか、仏様にさせていただい
たのか。---僧侶の復興録に、気持ちが洗われる思いがした。

まだまだ随所に荒れ果てた建物があり、参道傍には切り倒した竹が
山積みだ。浄財は、このような寺院にこそ集まるべきと思う。

“良い場所に行ったなぁ”という想いが、しばらく残る気がする。

2012.1217