お正月になると、毎年思い出すシーンがある。

物心付いた頃、大勢の親戚が集まる中、子供は私ひとりきりだった。
祖母が 歌留多を教えてくれた。けれど 長くは起きていられない。
添い寝してもらった部屋の暗さと、遠く興じる声。

祖母は、足を『オミアシ』と言った。私は、「そんなふるくせぇ
ことばは つかわねーよ。」と言い、ふつりと言葉が途切れた時に
は「ヒューズがとんだのか!?」などと悪態を突きながら寝た。
当時、TVの任侠モノに はまっていたからだ。    それでも

どんな時も、祖母は怒らない人だった。母も 生涯叱られた覚えが
ないという。61歳で逝った。早くに夫を亡くしてから苦労したらし
いが、母に言わせると「性格も体も弱すぎた。」と にべもない。

それからも絶えることなく延々と、母の実家と私の家は、お正月に
必ず1度は 百人一首の歌留多取りをする。いつの間にか、長男が
参加しなくなったかわりに、甥や姪の小さな手が増えた。

1/3付け日経新聞コラムの「門松は 冥土の旅の一里塚」の一文は、
インパクトが強い。11月に1人、年末年始に2人、かけがえのない
友人を見送ったからだ。明日のことはワカラナイと、痛切に思う。

せがまれて 百人一首を読む。淡々と読経のように。ただ 字面を
追うだけもあれば、こんな想いを 彼女もしたことがあったろうと、
歌を口にしては、胸が詰まった。

年を重ねるに連れて 祖母がみえてきたように、これからは 彼女
たちも よりはっきりと私の心に甦るのだろう。
記憶の中のあの寝床にいて、未だ 起き出せないでいる。

2004.0108