幼稚園に行くまでは、よくひとりで遊んだ。
近所に 同じ年格好の子がいなかったせいもある。

伊勢から 始発の関西本線に乗って、行商のおばさんが来ていた。
風呂敷に何段かのトロ箱を背負って。帰り際、手提げカバンから飴
をくれるのが常だった。私は このマネをもっとも得意としていた。

箪笥から着物を出しては よろけるまで重ね着てお姫様にもなった。

刈り込んだ真っ赤なツツジを、車に見立てた事もある。木の中央に、
何度も煉瓦を落として穴を空け、座布団を置いて座席にした。両足
をつっこむと擦り傷だらけになったが、日がな一日 これに乗った。

指で障子に穴をあけると、祖母は 和紙を花びらに切り貼っていた。

年上の女性に、子供の頃に 何をして遊んでいたか聞くことがある。
鶏駕籠に風呂敷を巻いて ドレスのスカートにした方と、どんな
高い木も上り下り自在だったという方は、今もって尊敬に値する。
私は鶏が怖かったし、木登りは降りられなかったからだ。

1997年、蔦谷喜一83歳のとき 集大成ともいえる本が発刊された。
雨の降る日は、もっぱらぬりえだったので、懐かしさでいっぱいに
なった。色鉛筆で、3頭身の女の子をせっせと塗りつぶしたものだ。

時を同じくして きいちの絵皿をいただいた。8頭身になっている
現代版である。進化していた。きいちの少女は、時代を超えて生き
ている。たぶん、かつて”女の子”だった誰の中にも。

たとえば私なら、朝 クロワッサンを食べ終えて、きいちの天使を
眼にした時など、「今日は、何をしようかな。」と 胸躍らせた、
あの頃の気持ちの 甦ることがあるから。

2004.0208