同い年のヨシエちゃんは5月5日がお誕生日なので、私より先に一
つ年をとった。お祝いのメールを送ると『バク転やってみたけど、
まだまだ大丈夫』の返信があった。

オリンピックの強化選手だった彼女は、中学教師を経て今は3つの
体操教室の先生をしている。教え子は一万人を超えたそうだ。

運動の苦手な子がマットや鉄棒で前回りなどが出来た時の喜ぶ顔を
見ると、自分のことのようにうれしいと言う。彼女の仕事は、たく
さんの感動を生み出す。

ブラジルで弁護士をしていたアイルトンさんに仕事を依頼する人は、
弁護料を払えない低所得者層なので、いつも開店休業状態だった。

そこで妻のジャケリネさんと来日し、二人してうちの工場で5年間
働いた後、故郷に帰ってプール付きの豪邸を建てた。

それから遊んで暮らすはずが、一年も経たない内にまた信楽で働き
たいと国際電話が入った。ソニー・ヒューマンキャピタルのホンダ
さんが酷評した”タイより汚い”第一工場に戻りたいというのだ。

代々京都の繁華街の地主という男性は、「おじいちゃんや父親の代
まで遊んで暮らしたのに、ボクの代からは働かなあかんのですわ、
相続相続で。ボクもそうしたかったのに」と自嘲気味に話した。

連休前に積み残しがあったと運送会社に文句を言い、販売店に謝っ
たりお礼を云ってもらったり、小さな達成感で一日が過ぎる。

”一生をかけて自分をつくること”が本当の務めと、宇治の先生は
おっしゃった。周りの日常はそのフィールドなのだ。仕事をせず
健康で一生遊んで自分をつくるのは、余程の力量が必要と思われる。

2004.0508