齋藤けさ江さんは人生の大半を田畑で過ごし、70才で孫から字を習
い77才の時に初めて筆を持ち書き始めた人である。

「ぴいまん」「すいか」などの書や絵が並ぶ壁面を一巡した。中央
のガラス台には、日記帳と家族に宛てたメモがぎっしりとあった。  

「五十二(息子の名前)ごくろうさまでした おさきにやしませて
いただきます」「おふろあります みてはえってください」
「こたつずやくにしてあります」「あんどさんよりでんはきました」

新聞チラシの裏・包装紙の裏・請求書の封筒などに書かれたメモを
読んでいるうちに涙が出てしまった。普通の何て事ない伝言に、細
やかな気持ちが溢れている。過ごした一日と大切に向き合っている。

書とメモの字は全く同じ字体なのだ。仕事で夜遅く帰る離婚した息
子に、日常の諸々をメモに残す必要に迫られたとは後で知った。


午後2時より、けさ江さんに筆を持つことを勧めた書家の岡本光平
さんと、ご子息で書家でもある齋藤五十二さんの講演が始まった。

岡本さん--書家は借り物の立派な文字を見事に素早く書き、感心し
てもらう事が当たり前。けさ江さんが初めて書いた「たのしい」を
見た時、ウソのない素直な字と重い一本の線に衝撃を受けた。--

訥々と話す五十二さんによると、教育書家に40才で嫁ぎ先妻の4人
の子と自分の子を育てたけさ江さんの苦労は計り知れないらしい。
  
--年を重ねるにつれ妬み・嫉みに囚われる僕の母のようなタイプと、
けさ江さんのように純真で透明感を増す人に分かれるのはどうして
か--と自嘲を交えて岡本さんは問う。
  
うまいへたの次元を超えた字から受けた感動は大きい。

2006.0129