生家でありながら、今まで見たことも無い衣装箱を見つけた。
  
箱の中には5,6本の大正時代の帯があった。うち3本の夏帯は、
仕付け糸がついたままだ。どうやら祖母の嫁入りの時のモノらしい。

小柄で柳腰の華奢な祖母と違って丈夫で健康体の私。おまけに最近
太り気味だ。やはり帯は胴を二回りしかねない。そんなはずは無い
と思いきり引っ張ったら、一番気に入った鶴の帯は少し裂けた。

そこで”付け帯”を思いつく。友だちのブログや手持ちを参考に、
遂に画期的な”付け帯”を完成させた。画期的というのは、ラシャ
鋏で3つのパーツに切り、縫うべき処をすべて接着テープとマジッ
クテープにした点だ。生きていれば驚倒したと思う。4本作る。


優しい色合いばかりの祖母の趣味とは異なる単衣もあった。黄色と
青の太い縦縞はまるで歌舞伎衣装だ。誰がどこで着たのかしら。
地の袷
は、女学校を卒業後、結婚、出産して24歳で亡くなった祖母
の妹ので「叔母さんのきものは、もっとあるはず」と母は云う。

好みのDNAは細々と脈々と繋がっているのだろうか。色合いや柄
はどれも好ましい。羽織にしようか、巾着袋にしようか、これは襦
袢に仕立て直そうかなどと思いを巡らせる時間は愉しい。

幸田文の小説『きもの』にある”古川に水絶えずで、世帯が古くな
ってきているおかげで、何やらかやら(あるもので)間に合ってい
く”とは、こういう事なのだ。  

けれど、反物からの誂えしか袖を通さない人にはボロ布に見えるか
もしれない。共鳴してくれそうな友だちにだけ自慢する。期待どお
り、「お宝発見やね!」の返信メールがあった。

2007.0608