先日知り合ったMさんをお誘いして、三重県の関宿に行く。

梅雨の中休み。どんよりした雲が流れて、午後からは青空が見え出
した。雨上がりの山の麓の宿場町は、爽やかな風が吹き抜けている。


元旅籠だった家が、資料館となっていた。

畳敷きの二部屋向うに裏庭が見え、小さな中庭は、苔と木々の緑が
冴えている。板張りの廊下は、参勤交代時代からの宿泊客の行き来
で、黒く光っている。上へ垂直に格納する雨戸は、実際に仕舞って
見せてくださった。不要な物の無い景色を、すがすがしく思う。


ここ十年ほどの日常のあれこれを書いたノートが溜まっている。

最初は過ごした年月を重要に思ったが、最近、その重みを鬱陶しく
感じていた。服も本にも、不要なモノが目立つようになっている。

歩きながら「試しにノートを少し捨てたら、気持ち良かったの」と
話した。するとMさんが、「私は、2年前にたくさん捨てたよ。27年
間住んだLosの家から、NYCのアパートメントに引っ越した時に」と
おっしゃった。

そんな大層な仕事に比べたら、私のは簡単過ぎて話にならない。


骨董屋も覗く。Mさんが、”朝食用に小さな盆が欲しい”と店の奥
さんに言った。私も紅い小さな塗りの四方盆を見つける。そして、
教室に寄付するからと、志野焼の水指は値切って買う。

店の主人たちとあれこれ話しながらも、私の品定めは数分だ。


帰りに菓子屋で、土産用に”志ら玉”饅頭を、喉が乾いたのでチェ
リオの”日本のサイダー”を買う。口当たりの柔らかな炭酸水は、
私のサッパリした気持ちを表しているようだった。

2013.0627