母は60年前のハタチの時、嵐山にある親戚の初盆の手伝いに泊りが
けで行ったそうだ。お精霊さんを送る夜、幾つか見える山の送り火
と精霊流しの寂しい美しさがいつまでも記憶に残っていると。

そんな話を聞きながら京阪東山駅まで来た。「大文字の送り火」の
今夜、市内に住む長女が夕飯に招いてくれたのだ。あいにく夫は予
定があり婿殿は仕事だ。親子三代の女だけの食事となった。

何かの原因で草津線が半時間遅れたので、到着したのは午後七時半。
道中、送り火の点火は午後八時とネットで調べて算段していた。


あれこれ話しながら食事をし出したあたりで、北のヴェランダに出
た長女が、東山の“大„の字に火がついた様子を見ろと手招きする。
なるほど右手の山肌に、文字の右半分が大きく見える。

しばし席に戻ってハモの湯引きを梅肉のたれに付けたところで、平
安神宮の鳥居の向こうに見えるのは“妙„か“法„かと母が問う。
ちょうど鳥居の中に"妙"の字が見える位置なのが面白い。

「越して来た年は、左大文字はもっと見えた気がする」「あのホテ
ルは窓で“大„とライトアップしてるんじゃないかな」と西のヴェ
ランダに移動した長女が言うので箸を置く。京都テレビを付けたか
らLIVEの解説も耳に入ってくるし、ちっとも落ち着かない。

テレビの画面は“鳥居„を点火する様子を炎だけで映し出している。
鳥居の脚の長い部分は、若い人がダッシュして付けてるそうだ。

其々10分ほどで消える。テレビも大昔には十山の送り火があったと
解説して終わる。こんなに呆気ないとは思わなかった。賀茂川や広
沢池周辺で腰を据えて観たら、印象は違ったかもしれないけれど。

2015.0816