二か月ぶりに開かれた茶道教室へ行く。

久しぶりに会う稽古仲間は、コロナワクチンの接種回数が挨拶替わ
りだった。

茶室のふすまを開けると、畳が真新しくなっていた。扇子を前にひ
と膝入ってお辞儀をする。イ草の青い香りが広がっている。


まず『盆点』の稽古をした。曲げの水差しに掛けた水は徐々に乾い
て、白木が明るくなるさまが涼し気だ。探り探りの点前をする。

もう一つの釜は『茶箱・卯の花』の稽古。私は平棗の扱いが得意だ。


基本、茶室は摺り足で歩く。妹が建水を下げる時、足をそろっと浮
かせた。「摺り足の音がしないとダメですよ」と先生が指摘される。

たぶん新しい畳を意識してのことだ。私も柄杓で水を移すとき水滴
がこぼれぬよう、茶杓で抹茶を掬う時も同様、いつもより緊張した。


障子が暗くなったと同時に雨音が聴こえた。庭に、茂った緑の葉と、
鈴なりの白みがかった緑色の実が雨風に揺れている。あれは何かな。

「センダイハギの種ですよ。あのなかに出来るのです」と先生がお
っしゃった。花だけ咲いて種の付かない年もあるらしい。

雨が上がり陽が照ると、茶室は再び明るくなった。


五人が二つの稽古を終えたあと、皆で『茶通箱付き花月』をした。

始めに濃茶を二種類点てるが、感染予防のため一人一碗で出すよう
になったので、花月の楽しさが半減する思いだ。

しかし敵は然るもの、歴史は永い。時代に応じて変幻するのは当然
であり、柔軟に、粛々と、連綿と続く力強さがある。この強さに寄
り添う安らぎを感じた。あらゆる点前は、媒介にすぎなくて。

2021.0628