雨こそ降らないけれど、梅雨の合間の曇り日の湿度は高く、そよとも風
は吹かない。私と妹は六月だからと几帳面に単衣を着たことを少し後悔
した。他の方は、先生初め薄物を着ていらした。

床花の斑入りの矢筈薄が涼し気だ。稽古は『大円の草』をする。


掛軸のかな文字が全部読めないのです」と、先生が苦笑いでおっしゃ
る。共作だろう、菖蒲の絵と文字は別々の落款だ。先生が拾い読みされ
るのを目で追って適切な言葉を探してみるけれど、なかなか埋まらない。
何が書いてあるのかくらい知りたいものだ。

妹は自宅に"崩し字辞典"を持っているが、どう引いたらいいのか分か
らないと言う。そもそも知りたい字が読めないので、引きようがない。

友だちのミホちゃんに掛軸の画像を送ると、しばらくして「多分ですが」
の前置きのあと『ふじなみのうつろいかかる ひろにわの ほうきのさ
きに 花菖蒲さく』と返信があり、一同スッキリした気分になった。

二十歳頃、かな文字を習っていた。ミホちゃんは筆に含ませる墨を少な
めにして、かすれる部分を模写した。私は「墨汁はたっぷりつけ一気に
書く。筆運びの勢いと筆圧の強弱でかすれる部分ができる」という持論
だが、腕が追いつかない。実直な彼女は、あれから書も身につけたのだ。


漢詩も愉しい。例えば『松樹千年翠』は、たった五文字で山々の緑濃い
松が目に浮かび、それが風説に耐える永い年月まで思い起こさせる。
コンパクトな漢字の羅列が大きな拡がりをもつところが魅力だ。

最後に掛軸のしまい方を習う。道具屋さんと茶道では違う処があるらし
い。私の集中力がもう限界なのか、しまい方には興味がないのか。Sさ
んの帯締めの薄い黄緑色の房の華やかさに、ぼんやりと見とれる。

2023.0628