里芋の葉に浮かぶ朝露で墨を擦り、短冊に願い事を書くと叶うと
教えてくれたのは、祖母だったか曾祖母だったろうか。

旧暦の言い伝えだ、里芋の葉はまだ小さく縦を向ている。陶芸家の
スーがくれた枇杷の形の小さな白磁の水滴に、井戸水を入れる。

庭からヒバの葉を取り、墨と共に擦る。

『二重瞼になりますように。』父親似の娘は、一重瞼の腫れぼった
い目が気に入らず何年かこう書いた。初めは熱が出た時に、次に片
眼だけ、そして両目とも二重瞼になった。

願い事は成就する。そう野口晴哉さんの著書にもあるから絶対だ。

次男は、ここ何年かは『サッカーがうまく成りますように』と書く。
子供らが健やかなること・スーの安産祈願、そして私のコトを書く。

昨夜は夕立のあとのせいか、すっきりとした星空だった。それでも
毎年決まったように七夕の夜に降る数滴の雨は、牽牛の彦星が舟で
織り姫に会いに行くときの櫂の雫、というのも信じて疑わない。

薄藍色の浴衣が夜露で湿るほど夜空を眺めていた遠い昔も、大津の
マンションのベランダで幼い子供たちと笹飾りを括り付けた時も、
確かに何滴かの雨粒が頬に降りかかった覚えがあるのだ。

翌朝の、乾いた細い葉が擦れ合ってカサカサと聞こえる涼やかな音
も好きだ。一晩で願いごとが届いたかのような抜け殻に見える。


それにしても、年を経るごとに物識りになり何でも出来るようにな
ると思っていたが、これは誤りだった。
単衣くらいもっと上手く着なければ、今後は里芋も自分で植えねば
なるまい、などと思う。

追記
  「里芋じゃなくて露草」の説もあるとご指摘を受けました。
  ポケット状の葉に溜まる水滴を集めるのだそうです。来年、
  ひと月早く植えようと思った里芋をヤメて、露草にします。

2004.0709