急遽、二村さんの代わりに、倉敷へ並川先生と出張する。
 
アイビースクエアから歩いて10分も経たない内に、私の7/18の日記
の出だし2行のせいか、活字は行動を導くのだろうかと訝しんだ。

備前焼・倉敷ガラス・織物・たたみイ草・組み木・和紙・どこまで
が”民芸”の括りか分からないが、民芸オンパレードだったからだ。
 
来月展示会開催予定の「PLUS 1 ギャラリー」での打ち合わ
せを終え、併設する「日本郷土玩具館」を、三女の環子さんに案内
していただく。彼女のお祖父様が一代で集められたおもちゃの館だ。

珍しいものは勿論だが、大体において一寸崩れている表情が好きな
ので、ついついレンズを向ける。

郷土玩具が無くなりつつある今、ここにあるすべては貴重な財産だ。
と言うと環子さんは答えに窮した。膨大な数は、第6展示室に及ぶ。
風化する物を引き継ぐのは大変なんだろうなとも思った。

河井寛次郎などが泊まった旅館”くらしき”にも行く。92才の名物
女将はご健在だった。ご厚意で旅館のお部屋を見せてもらう。

備え付けの家具や、廊下の電気の意匠、絵画など、すべてが良き時
代の良きもので成り立っていた。働いている人の服装も昭和の映画
を彷彿とさせ、時間が緩やかに現在に至るといった風情であった。

先にだけ練乳の詰まっているアイスキャンディーがあるが、倉敷の
美観地区はそれを連想させる。


ところで、私の携帯電話番号は単純な数字の羅列だ。先日、留守番
電話に間違って「今日**より10万ドル入金ありました」と男性の声
が入っていた。無論、これは活字が呼ぶやも、と期待の3行である。

2005.0808