最近の私は、寝る前のひと時、大正時代にワープしている。

開高健が「ボクが耽読した2冊の本」として薦めるうちの1冊を手
に入れたからだ。それは『芥川龍之介』宇野浩二著(筑摩叢書)。

芥川は中学時代に読んだきりで、今から読みたいとも思わない。宇
野浩二も知らない。それでも、読みだしたら引き込まれる。

芥川が26歳から32歳くらいの若い頃(2/3ほど読了した時点で)の
友だちとの日常を、33年ほど経った昭和26年に回顧しているのだ。

『年月を経ているので不確かな記憶であるから、間違っているやも
しれない』という謝罪がちょいちょい出てくる。友だちの芥川に関
する出版物を読んで、『僕のは勘違いだった』と訂正する。

友だちというのは、加能作次郎・佐佐木茂索・里見淳・佐藤春夫・
直木三十五・大杉栄‥など。私が知る範囲でもたくさんいるきらび
やかな交友録だ。批評も、し合う。宇野浩二はその作家仲間だった。

谷崎潤一郎でさえ読まないから、自分も新聞の書評を読まないと芥
川はいう。評価によっては、今でいうテンションが下がるからだ。

彼らは食事や旅行によく行く。女性もいろいろ出てくる。半面、病
気も精神の病もけっこうあって、特にピリン疹は痛そうだ。家庭の
事情も複雑で、話題の尽きることはない。

宇野浩二は、芥川の小説に無いものは"ニュアンス"である。そし
て芥川は、彼の小説よりも芥川本人が面白いと断言する。


それでも私は芥川への興味はさして無い。ただ『何が書いてあるか
よりも文章を味わう』とはこういうことかと、宇野浩二によって体
験している。

2023.0308